神変

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醍醐寺座主・真言宗醍醐派管長に就任して

2024年03月19日

昨年十一月、醍醐寺第百三世座主、真言宗醍醐派第十一世管長の順和大僧正猊下が御遷化されました。醍醐派教師だけでなく、多くの方々から哀悼の意がよせられました。

このような悲しみの中、不肖、私が座主・管長へ推挙されました。座主、管長として、仲田猊下が示されたように、開山聖宝尊師の御心に添い、宗団発展のために精進して参ります。

奇しくも、本年は醍醐寺開創千百五十年を迎える年であります。この記念すべき年に、醍醐派教師お一人お一人のお力をお借りし、大法要を無魔にて成し遂げたく存じております。

一方、世界に目を向けると、戦乱に苦しむ人々は増え続いております。日本においても、本年の一月一日に能登半島地震が発生しまし、今なお避難所に多数の方がおられます。一日も早く、平穏な生活が戻るように、醍醐派寺院・教会・教師の皆様と共に祈っていきたいと思っております。

最後に、皆さまのご健勝を祈り、ご挨拶といたします。

真言宗醍醐派 管長 壁瀬 宥雅

令和5年、弘法大師ご生誕1250年を迎えるにあたって

2023年01月06日

つつがなく令和五年の新年をお迎えますこと寿ぎ申し上げます。

昨年は、太元帥大法を厳修する事ができ、世に不安が多くあるなか、歴史と伝統の中、如何に「平和」を願い、祈ってきたかを皆さまに知っていただける機会となったことを嬉しく思っております。

醍醐寺と致しましても、一山をあげて、法流の継承をしっかりできたことを誇りに感じております。

宗内の皆々様には種々ご尽力賜りましたこと改めて御礼申し上げます。

本年は、更に、お大師さまの御誕生1250年の記念の年であります。

お大師様が望まれた、「自然と共にある人類社会」への御教えを今こそ実現に向けて、世界に向けて発信すべき時であると確信しております。

醍醐寺は、醍醐寺初代座主観賢僧正が大師号の下賜を願い出、醍醐天皇が空海上人のご業績を称え、「弘法利生」という言葉の中の「弘法」という二字をとり、大師号をお贈りになられたことから、「弘法利生」という言葉を大切にして参りました。

空海上人は他の命を重んじ、「心の営み」におもむきをおき、人が人を思う心を大切にされ、自分を支える人々への「恩」として教えの柱におきました。

更に、聖宝様は、「実修実証」の言葉のなかに、その実践の大切さを解き、世のため人の為に仏法を学び、実践することを解かれ残されました。

それは、つまり、祈りの原点になっているのが他の命を重んじ、「人が人に対して祈り、命が命に対して祈る」という行為が基本となる、「空」の思想であり、「利他」の実践です。

自然の中で生きる私たちは多くの命とつながり、さらに、過ぎ去った命がなければ今の私達の命もありません。

この命の繋がりに思いを寄せることができる「心」をもつことが、人が生きる意義です。

大きな時代のうねりの中で、自らを見つめ、実践していく姿を共々に目指してまいりましょう。

真言宗醍醐派 管長 仲田順和

「太元帥法」奉修の年によせて

2022年01月01日

令和四年新春を、皆様ご平安にお迎えになられたことを、心よりお祝い申し上げます。 

年を送り、年を迎える楽しみは、過去から未来へと続くときめきを覚え、新年を言祝ぐ行事の中におのずと身のひきしまる思いを寄せます。 

とりわけ本年の新春は、「太元帥御修法」奉修の年であります。 

奉修の縁故につきましては、「国宝醍醐寺文書聖教」14011号一巻に承和七年(840)法琳寺常暁は、自ら請来した玉体安穏を掲げる太元厳修の勅許を受けた。 

 太元法は鎌倉時代より醍醐寺理性院で相承されたが、その由来から厳修の詳細を記した本書は時代をさがる永享7年(1435)に書写されたものである。 

今ここに、あらためて奉修の旨趣及び由来書をしたためるならば、 

「太元帥御修法奉修の旨趣及び由来書 

夫れ太元帥御修法は鎮護国家の要道にして玉體安穏を禱り奉るを以って本旨とす。 

我が宗祖弘法大師初めて太元帥明王の儀軌を請来し常暁和尚重ねて尊像壇儀を伝え 承和七年常暁太元阿闍梨の宣旨を蒙り 勅を奉じて此の秘法を修し奉れり 越えて文徳天皇の仁壽元年十二月特に國典と定めらる   爾来 天皇御即位の時は必ず宮中に於て 勤修せしめらるるを以って恒規と定めさせ給えり 

 斯くて歴朝の聖帝叡信浅からず世々嫡々相承の阿闍梨に勅して之れを勤修せしめられ明治四年に至るまで連綿として断ゆる事なかりき 而して大正四年十一月  先帝御即位の御大禮を行われせ給うや 斯法を教王護国寺灌頂院に於て修せしめらる 伏して惟みるに今上陛下聖徳天の如く億兆齊く仰ぐ今や将に即位の大禮を行わせ給わんとす 

小衲皇恩の萬一に報い奉らんが為に謹んで歴代聖帝の叡信を仰ぎ仏 

祖嫡伝の行軌に則り玉體安穏寶祚無窮天下泰平萬民豊楽を祈りて皇    業愈々隆昌に國運益々旺盛にして徳澤天下に普く頌音四海に溢るるを期し奉らんと爾云う 

令和四年 元旦 順和 記」 

 この祈りの大法は、醍醐寺塔頭理性院に於いて受け継がれてきました。 

昭和天皇の時は、真言宗各本山管長総出仕のもと東寺教王護国寺灌頂院に於いて昭和3年に奉修され、盛儀を見ました。 

平成の御代(みよ)は、社会の悪弊により真言宗各派総大本山会が辞退したため、理性院一山に於いて静かに勤めました。 

今般、令和の御代は、醍醐寺が山はもとより宗団挙げて奉修いたします。是非この機会に御出仕をいただきたくご案内致します。 

 私達は、天皇即位により、新しい元号の時代が始まりました。この時にあたり、自分自身の価値判断の基準になっている「霊性的自覚」について再確認したいものです。 

人間の理性的判断を分別と考えるならば、分別は欠くことのできない人間生活の営みです。この分別が、一人の神様の上での判断と、東洋を中心とする多神教・仏教的理念の上での分別とでは大きな差があります。東洋的、仏教の立場からなら、世界中にある知識の枠組みを超える可能性を秘めているのです。   

最近私は、9・11同時多発テロ事件以後の二人のフランス人哲学者の発言に心を再び惹かれました。 

レジス・ドブレ先生は、『神』と題する著書の中で「一神教を生んだ砂漠の民が、摩天楼に自分たちの記憶を思い起こさせた」と書き、神の起源について論ずる中で「なぜ米国が傲慢に振る舞うかを解くカギは、神の存在にある。  

米国は物質的・合理主義の国のように思われているが、実は、神の祝福を受けて選ばれた特別な国であるという精神主義に支えられている」と著述され、この章の終言として、「二千年も前に発明された神が、なぜいま、われわれの間に居続け流のか。この問題を抜きにしては、世界は読み解けない」と、新たな思想体系の構築を模索する発言をしています。  

もう一人のジャック・デリダ先生は、パリ市内にある社会科学高等研究院で一年のテーマを『けものと主権』と題してゼミを開かれました。 

これは現在を「新たな世界内戦の時代」と捉えての発言です。 

 「オオカミ(戦争を中心とする恐怖の象徴)は、足音を立てずに近づいてくる。このオオカミはテロリストのようにも見え、権力者とも見える」と受講者に呼びかけ、 

「動物と人間を区別するものは何か?人間の恐怖とは何か?などと根元にさかのぼって考えなければならない問題は多い。作業は急がなくてはならない」と問題の提起をしています。 

そして、この二人の哲学者の提言に世界中の哲学者、政治学者、言語学者、社会学者が小論文を寄せています。いずれも「西欧的な知識の合理性の行き詰まり」を強調しています。  

ここで、強く感じるのは、大きなうねりの中、音も立てずにひび割れていくような現実を前に、伝統的な知識の枠組みを再検討し、枠を乗り越えた新たな思想の構築の模索が、ヨーロッパ社会に起きて、その広がりを見ることができることです。 

それは人間観や、宗教観の根源的な問い直しに他ほかなりません。   

これから私たちみんなが、真の〝心の時代〟到来とともに思えるような第一歩を踏み出すためにも、〝神から示し与えられた心〟と認識する前に、神様と自分の心の間に〝人が生きるために〟という人間観を入れて、人が共々に生きるために心を運ぶ「霊性的自覚」の基に、心豊かな生活をしましょう。 

弘法利生

2021年01月12日

御即位の一連の行事を国民の祝福のうちにつつがなくおさめられ、心新たに令和三年の新春を寿ぎます。今年は、醍醐天皇が空海上人に大師号を下賜されてから1100年の年にあたります。

観賢僧正が大師号の下賜を願い出た際、本覚大師という名を奉請されましたが、醍醐天皇は空海上人のご業績を称え、弘く法を伝えるという意味から「弘法利生」という言葉の中の「弘法」という二字をとり、大師号をお贈りになられました。

今日では、醍醐天皇の意図とされた、「弘法利生」というお言葉をなかなか聞く機会が少なくなりました。「大師未だおわします」「衆生済度してやまじ」は今日の大師信仰の根本です。

醍醐寺は、空海上人の弟である真雅僧正の弟子にあたる聖宝僧正が准胝観世音菩薩と如意輪観世音菩薩の二体の観音像を謹刻され、この地に小さな庵を建てて開創されました。この小さな庵に、時の帝・延喜帝が大きな御請願を込められました。ご自分の母方の祖父母が、准胝観世音菩薩に願をかけられた結果、母君の胤子がご自分(延喜帝)を身ごもられたという、出生にまつわるお話をお聞きになって、当時お子様に恵まれなかった延喜帝は、一心に准胝観世音菩薩に祈られ、穏子皇后との間に二人の皇子、のちの朱雀天皇、村上天皇がお生まれになりました。

延喜帝はこのご信仰から、ご自身の名を「醍醐」と名乗られました。そしてそれ以来、「醍醐天皇」とお呼びするようになりました。

醍醐天皇の御誓願は大きく注がれました。ご自身が祈りを捧げられた准胝観世音菩薩の霊験のもと、聖宝様に薬師如来をおまつりし、人々の病の癒しを祈ることを命じられました。また、五大尊像をおまつりし、仁王法を修することにより国の安泰、人々の平和を祈ることを進言されました。

空海上人を思慕したのが聖宝理源大師であり、聖宝理源大師のお心をそのままに、わかりやすく説いたのが観賢僧正でした。聖宝理源大師は霊性豊かな方で、目に見えないものへの呼びかけを大切にされました。

「観賢僧正は、お大師様の休まれている御廟へと入っていかれました。そこでお大師様のお姿を見ると、髪とひげが伸びていたので剃って差し上げ、新しい衣にお着替えしていただいた」とのお話が残っています。

~人が人に対して祈る~

多くの現代人にとって、祈りの原点になっているのが「人が人に対して祈り、命が命に対して祈る」という行為です。世界の諸宗教でも、人を虐げられると神ではなく人に祈る、「大師いまだおわします」の本質はここにあります。亡くなった命に対しても、生きているままにお仕えするのです。

『千の風になって』という歌があります。2001年9月11日のニューヨークでの『米中枢同時テロ』の現場で、父親を亡くした少女が朗読した詩です。

『A THOUSAND WIND』十二のセンテンスからなる詩です。

「Do not stand at my grave and weep,

I am not there, I do not sleep.

I am a thousand winds that blow.」

 

非常にやさしい言葉で呼びかけています。そしてその中で、私が心を引かれた言葉の一つに

「I am the gentle autumn’s rain.」という言葉があります。

 

そして最後には、

「Do not stand at my grave and cry. I am not there, I did not die.」

という言葉で本当に優しい言葉で、優しい心を伝えています。

「私のお墓の前で 泣かないでください そこに 私はいません

死んでなんかいません」

 

ここに、お大師様の祈りが表れています。この歌が共感を呼んでいることを一つとっても大師信仰は間違いなかったのだと思います。

少しお考えいただきたいのです。この歌の伝える心は、私たち日本人が長い間培ったところの弘法大師のご信仰、そして聖宝理源大師のお心の現れのように思えてなりません。

 

どうぞ、そのような意味で私たちは今起きている社会の大きなうねりの中にあって、是非、優しい言葉で、優しい心を伝えるよう努力していきたいものです。そして「弘法利生」私たちは共々に「国境を超えてヨーロッパ社会に、アメリカ社会に、そして日本の社会の中にも、人間観や宗教観の根本的な問い直しが存在する」、これをきちっと読み取る必要があることを自覚していただきたいのです。

真言宗醍醐派管長 仲田 順和

令和2年 第89回伝法学院入学式 醍醐寺座主告諭

2020年06月24日

第89回醍醐山伝法学院入学式 

醍醐寺座主告諭

本日、醍醐寺一山は伝法学院89回生 院生として、7名の諸君をお迎えしました。

これから1年間、一日一日、一時一時、修行という二文字のもとに日々研鑽して頂きたいと、心から念ずるものでございます。

開山聖宝理源大師は、私たちに「実修実証」という四文字を残してくださいました。

「入りて学び出でて行なう」と理解してください。

そして実修ということは、一時一時自分自身で修行し、身に付けていくことでございます。

そして実証とは、それを身体をもって社会に明らかにしていくことでございます。

どうぞこれから一日一日、7名の諸君は、お互い同士助け合い、そして寄り添いながら一日一日お過ごしください。

でも決して頼り合ってはいけません。お互い同士助け合う、でも決して頼り合わない、ということ。

これをしっかりと肝に銘じて学院での生活をお過ごしください。

是非、頑張っていただきたく、心から念じ告諭と致します。

総本山醍醐寺 座主 仲田 順和

令和2年4月15日 桜会中日「病魔退散」五大力菩薩祈願法要 表白

2020年04月16日

令和2年4月15日 桜会中日「病魔退散」五大力菩薩祈願法要 表白

謹み敬って 真言教主大日如来 両部曼荼羅諸尊聖衆 殊に別ては 本尊聖者不動明王 五大力菩薩 四大八大 諸大忿怒 総じては尽空法界 一切三宝の境界に白して言さく

静かに惟れば全世界は病魔に襲われ 大きな動揺と不安をもたらしているこの病魔は「新型コロナウィルス」と称し 既に十一万人の尊い命を奪い さらに二百万の人々が感染しその治療に苦しんでいる

今ここに醍醐寺桜会中日を迎えるにあたり

祖師伝来の仁王般若経を奉ずる秘法「五大力菩薩祈願法要」を厳修し奉る

仁王般若経と者

一代聖経の中に 独り護国の名有り

五部秘経の内に 更に利人の徳多し

国を護り 人を護る 衆願を満たして欠くることなく

城の如く 壁の如く 諸悪を退けて来たらせず

一千里の外方へ 七難悉く去り

五百城の内室へ 七福皆きたる

之に依り

護国の秘法を修し 病魔の終息を願い

三密の壇場を荘厳し 五大力菩薩の悲願を仰ぎ 百部神王の加持を馮み令和

一心に祈り 病魔退散を願う

若し爾らば

一天泰平 四海無事 五穀成熟 萬民安全

病魔退散 人身和平 乃至法界 平等利益

敬って白す

 

真言宗醍醐派管長

仲田 順和

生かされてこそ文化財

2020年01月01日

令和の年、初めての新春を心新たな思いで年を迎えることができました。皆様ご機嫌よく新春を迎えられたことと賀しあげます。

ご即位の行事も滞りなく国民の笑みに包まれ無魔成満し、何よりのことと存じ上げます。

陛下のお言葉を一つ一つ伺う時に、ご自身のお言葉で、上皇様のお心を引き継ぎ国の行く末を深く深く思われていることが感じ取ることができます。中でも国民に寄り添い、そして国民の声を聞くというお言葉を聞くたびに、平成二十九年六月に上皇様の退位を実現する皇室典範特別法が成立した後、陛下は御代替わりのご準備の一環として醍醐寺を訪問され、後奈良天皇ご宸筆の般若心経の写経を中心に歴代天皇のご宸筆をご覧になられました。中でも後奈良天皇の奥書は何度もなんどもお読み返しになっておられました。その一文は、

今茲に天下の大疫にて、万民多く死亡におよぶ。朕、民の

父母(ぶも)として、徳は覆(くつがえ)すこと能わず。甚だ自ら痛む。

ひそかに般若心経一巻を金字に写し、義堯僧正をしてこれを供養せしむ。

こい幾(ねが)わくは疾病の妙薬たらんことを。

時に天文九年六月十七日

と記されています。ここに後奈良天皇の衷心からの疫病平癒の深い想いをうけとめられました。陛下はこの後、静かに私に話されたお言葉「過去の天皇方が人々に寄り添い、そしてその声に耳を傾けられた。その業績を明らかにしようとの思い、さらにそれが両陛下(上皇両陛下)の御心として伝えられていること、これを大切に深く思う。」

私はこのお言葉を思い浮かべながら、後奈良天皇のご誓願が生き生きと陛下によって語られていることに対し、伝承物の保存、管理の大切さを強く感じました。そしてご即位後お目にかかった陛下にこのことをお話することができました。

醍醐寺は、国宝に指定された文化財をはじめ永世に伝えていく姿勢として、「生かされてこそ文化財」という言葉を大切に尚一層の努力をすべきであると強く思う次第です。

そして「生かされてこそ文化財」の心は、

文化財は、人類の叡智の結晶である。

文化財は、時代を超えて、歴史文明を今日に伝える存在である。

文化財は、人と人との心を通じ合わせる架け橋である。

是非この事をご理解いただき、醍醐寺は京都醍醐を発信地として全世界に対して文化財伝承の大切さを伝えていく所存です。

 

真言宗醍醐派管長

大僧正 仲田順和

新しい御代に思いを馳せて

2019年01月01日

平成三十一年の新春を寿ぎ、新年のご挨拶を申し上げます。
本年五月一日には、天皇陛下のご譲位によって新しい御代が開きます。わたくしは、この時にあたり尊い「いのち」の相続、「いのち」の循環の尊さを思わずにはいられません。
醍醐寺―この寺の長い歴史、時の流れは、わたくしたちに多くの夢とときめきをもたらします。醍醐水を中心にこのお山は、古くから諸佛諸菩薩が雲集する聖地であるという、開創の神秘性を持つ豊かな舞台です。舞台は、ひとの「いのち」の向こう側にある心を生かすところです。今この舞台を前に深く「いのち」を考える時、「いのち」を一言で言うならば、自分自身が使える時間です。自分自身に与えられた時間、これが「いのち」です。そしてこの「いのち」には、“目に見える「いのち」”と“目に見えない「いのち」”があります。“目に見える「いのち」”は、自分が生きているこの「いのち」です。この「いのち」は自分自身が感じる事が出来る「いのち」です。また、“目に見えない「いのち」”とは、私たちと同じように、自分に与えられた時間を使い切った人々の「いのち」です。
父母の「いのち」であり、祖父祖母の「いのち」でありましょう。それを私たちは、ご先祖様と呼び、衆生の「いのち」と表現しています。西方へ旅立った多くの人々の「いのち」、これが“目に見えない「いのち」”です。この“目に見えない「いのち」”に呼びかけることにより、自分の心のたたずまいをただすことができます。“目に見える「いのち」”に対する祈りを「ご祈願」と呼び、“目に見えない「いのち」”に対する祈りを「ご廻向」と呼びます。廻向は追善とか追福という言葉でも表されています。
そして、この祈りの世界で、今日なお祈り続けることができるのは、人は自然の中で生き、「縁」をもって大きな弧を描きながら「いのち」から「いのち」へと受け継がれる循環の尊さがもたらすものです。この尊さに対して、畏敬の念をもって自分自身を社会に明らかにし続けることが大切です。
今世界の人々は、この寺に古の神秘性豊かな心を求めて、大きな舞台に触れたいと、醍醐寺を訪れます。わたくしは、世界の人々に対して、国境を越えた祈りとして、 「いのち」に心寄せ合いましょう。 「いのち」に対して手を合わせ、 「いのち」に対して祈りましょう。
これを提言し「国境なき祈り」とし、世界の和平を至心に願うものであります。

真言宗醍醐派管長
大僧正 仲田 順和

2018年03月26日

 最近、京都に限らず来日される外国人の多さが、何かと話題となっております。醍醐寺に於いては、一昨年、中国で開催した展覧会の影響もあるのか、一段と多くなったようです。しかも、以前とは異なり、単なる観光目的ではなく、何かを学び取ろうとされる外国の方が増えております。それも、お茶やお花をといった習い事だけでなく、お寺の日常そのものに関心を持つ人も出てきており、実際に醍醐寺に学びに来られる方もおられます。
 そのような人は、一度ならず二度三度と、足を運ばれます。そうなると、大勢の観光客の一人ではなく、顔を知っている人、さらに名前を聞いた人、顔見知りへと関係が深まってきます。この関係を育んでいけば、醍醐の教えを広めることにも繋がる、と感じられるようになりました。そして同時に、これは外国の方々だけに通じるものではなく、日本人に対しても、顔を知り、名を聞き、対面することが大切である、という、昔は当然であったことを、改めて認識する機会ともなりました。
 現代は、いろいろと便利になり、様々な方法で情報を流すことも、受け取ることもできます。しかし、インターネット上の匿名性を利用して、誹謗中傷が流され、傷つく人が出ているのも事実です。
 便利な世の中ですが、顔を見て対話をすることの重要性は、変わらないどころか、ますます大切にしなければならない、との思いを強く持ちました。特に我々僧侶は、そのことを心に刻まなければなりません。
 醍醐派教師皆様お一人お一人のお力で、開山・聖宝理源大師以来の「実修実証」の教えのもとに、社会に即した醍醐の祈りの世界を、より多くの人々に伝える方策が生まれることを願っております。

真言宗醍醐派管長
大僧正  仲田 順和

今月の管長様のおことば

2017年06月01日

醍醐寺は聖宝理源大師が貞観16年(874)に上醍醐山上で地主横尾明神の示現により、醍醐水の霊泉を得、小堂宇を建立して、准胝、如意輪の両観音像を安置したのに始まる。そののち醍醐・朱雀・村上三帝のご信仰がよせられ、延喜7年(907)には醍醐天皇の御願による薬師堂が建立され、五大堂も落成するに至って上醍醐の伽藍が完成した。それに引き続くように下醍醐の地に伽藍の建立が計画され、延長4年(926)に釈迦堂が建立。ついで天暦5年(951)に五重塔が落成し、下伽藍の完成をみた。