神変

月別アーカイブ




カテゴリー

令和2年 第89回伝法学院入学式 醍醐寺座主告諭

2020年06月24日

第89回醍醐山伝法学院入学式 

醍醐寺座主告諭

本日、醍醐寺一山は伝法学院89回生 院生として、7名の諸君をお迎えしました。

これから1年間、一日一日、一時一時、修行という二文字のもとに日々研鑽して頂きたいと、心から念ずるものでございます。

開山聖宝理源大師は、私たちに「実修実証」という四文字を残してくださいました。

「入りて学び出でて行なう」と理解してください。

そして実修ということは、一時一時自分自身で修行し、身に付けていくことでございます。

そして実証とは、それを身体をもって社会に明らかにしていくことでございます。

どうぞこれから一日一日、7名の諸君は、お互い同士助け合い、そして寄り添いながら一日一日お過ごしください。

でも決して頼り合ってはいけません。お互い同士助け合う、でも決して頼り合わない、ということ。

これをしっかりと肝に銘じて学院での生活をお過ごしください。

是非、頑張っていただきたく、心から念じ告諭と致します。

総本山醍醐寺 座主 仲田 順和

令和2年4月15日 桜会中日「病魔退散」五大力菩薩祈願法要 表白

2020年04月16日

令和2年4月15日 桜会中日「病魔退散」五大力菩薩祈願法要 表白

謹み敬って 真言教主大日如来 両部曼荼羅諸尊聖衆 殊に別ては 本尊聖者不動明王 五大力菩薩 四大八大 諸大忿怒 総じては尽空法界 一切三宝の境界に白して言さく

静かに惟れば全世界は病魔に襲われ 大きな動揺と不安をもたらしているこの病魔は「新型コロナウィルス」と称し 既に十一万人の尊い命を奪い さらに二百万の人々が感染しその治療に苦しんでいる

今ここに醍醐寺桜会中日を迎えるにあたり

祖師伝来の仁王般若経を奉ずる秘法「五大力菩薩祈願法要」を厳修し奉る

仁王般若経と者

一代聖経の中に 独り護国の名有り

五部秘経の内に 更に利人の徳多し

国を護り 人を護る 衆願を満たして欠くることなく

城の如く 壁の如く 諸悪を退けて来たらせず

一千里の外方へ 七難悉く去り

五百城の内室へ 七福皆きたる

之に依り

護国の秘法を修し 病魔の終息を願い

三密の壇場を荘厳し 五大力菩薩の悲願を仰ぎ 百部神王の加持を馮み令和

一心に祈り 病魔退散を願う

若し爾らば

一天泰平 四海無事 五穀成熟 萬民安全

病魔退散 人身和平 乃至法界 平等利益

敬って白す

 

真言宗醍醐派管長

仲田 順和

生かされてこそ文化財

2020年01月01日

令和の年、初めての新春を心新たな思いで年を迎えることができました。皆様ご機嫌よく新春を迎えられたことと賀しあげます。

ご即位の行事も滞りなく国民の笑みに包まれ無魔成満し、何よりのことと存じ上げます。

陛下のお言葉を一つ一つ伺う時に、ご自身のお言葉で、上皇様のお心を引き継ぎ国の行く末を深く深く思われていることが感じ取ることができます。中でも国民に寄り添い、そして国民の声を聞くというお言葉を聞くたびに、平成二十九年六月に上皇様の退位を実現する皇室典範特別法が成立した後、陛下は御代替わりのご準備の一環として醍醐寺を訪問され、後奈良天皇ご宸筆の般若心経の写経を中心に歴代天皇のご宸筆をご覧になられました。中でも後奈良天皇の奥書は何度もなんどもお読み返しになっておられました。その一文は、

今茲に天下の大疫にて、万民多く死亡におよぶ。朕、民の

父母(ぶも)として、徳は覆(くつがえ)すこと能わず。甚だ自ら痛む。

ひそかに般若心経一巻を金字に写し、義堯僧正をしてこれを供養せしむ。

こい幾(ねが)わくは疾病の妙薬たらんことを。

時に天文九年六月十七日

と記されています。ここに後奈良天皇の衷心からの疫病平癒の深い想いをうけとめられました。陛下はこの後、静かに私に話されたお言葉「過去の天皇方が人々に寄り添い、そしてその声に耳を傾けられた。その業績を明らかにしようとの思い、さらにそれが両陛下(上皇両陛下)の御心として伝えられていること、これを大切に深く思う。」

私はこのお言葉を思い浮かべながら、後奈良天皇のご誓願が生き生きと陛下によって語られていることに対し、伝承物の保存、管理の大切さを強く感じました。そしてご即位後お目にかかった陛下にこのことをお話することができました。

醍醐寺は、国宝に指定された文化財をはじめ永世に伝えていく姿勢として、「生かされてこそ文化財」という言葉を大切に尚一層の努力をすべきであると強く思う次第です。

そして「生かされてこそ文化財」の心は、

文化財は、人類の叡智の結晶である。

文化財は、時代を超えて、歴史文明を今日に伝える存在である。

文化財は、人と人との心を通じ合わせる架け橋である。

是非この事をご理解いただき、醍醐寺は京都醍醐を発信地として全世界に対して文化財伝承の大切さを伝えていく所存です。

 

真言宗醍醐派管長

大僧正 仲田順和

新しい御代に思いを馳せて

2019年01月01日

平成三十一年の新春を寿ぎ、新年のご挨拶を申し上げます。
本年五月一日には、天皇陛下のご譲位によって新しい御代が開きます。わたくしは、この時にあたり尊い「いのち」の相続、「いのち」の循環の尊さを思わずにはいられません。
醍醐寺―この寺の長い歴史、時の流れは、わたくしたちに多くの夢とときめきをもたらします。醍醐水を中心にこのお山は、古くから諸佛諸菩薩が雲集する聖地であるという、開創の神秘性を持つ豊かな舞台です。舞台は、ひとの「いのち」の向こう側にある心を生かすところです。今この舞台を前に深く「いのち」を考える時、「いのち」を一言で言うならば、自分自身が使える時間です。自分自身に与えられた時間、これが「いのち」です。そしてこの「いのち」には、“目に見える「いのち」”と“目に見えない「いのち」”があります。“目に見える「いのち」”は、自分が生きているこの「いのち」です。この「いのち」は自分自身が感じる事が出来る「いのち」です。また、“目に見えない「いのち」”とは、私たちと同じように、自分に与えられた時間を使い切った人々の「いのち」です。
父母の「いのち」であり、祖父祖母の「いのち」でありましょう。それを私たちは、ご先祖様と呼び、衆生の「いのち」と表現しています。西方へ旅立った多くの人々の「いのち」、これが“目に見えない「いのち」”です。この“目に見えない「いのち」”に呼びかけることにより、自分の心のたたずまいをただすことができます。“目に見える「いのち」”に対する祈りを「ご祈願」と呼び、“目に見えない「いのち」”に対する祈りを「ご廻向」と呼びます。廻向は追善とか追福という言葉でも表されています。
そして、この祈りの世界で、今日なお祈り続けることができるのは、人は自然の中で生き、「縁」をもって大きな弧を描きながら「いのち」から「いのち」へと受け継がれる循環の尊さがもたらすものです。この尊さに対して、畏敬の念をもって自分自身を社会に明らかにし続けることが大切です。
今世界の人々は、この寺に古の神秘性豊かな心を求めて、大きな舞台に触れたいと、醍醐寺を訪れます。わたくしは、世界の人々に対して、国境を越えた祈りとして、 「いのち」に心寄せ合いましょう。 「いのち」に対して手を合わせ、 「いのち」に対して祈りましょう。
これを提言し「国境なき祈り」とし、世界の和平を至心に願うものであります。

真言宗醍醐派管長
大僧正 仲田 順和

2018年03月26日

 最近、京都に限らず来日される外国人の多さが、何かと話題となっております。醍醐寺に於いては、一昨年、中国で開催した展覧会の影響もあるのか、一段と多くなったようです。しかも、以前とは異なり、単なる観光目的ではなく、何かを学び取ろうとされる外国の方が増えております。それも、お茶やお花をといった習い事だけでなく、お寺の日常そのものに関心を持つ人も出てきており、実際に醍醐寺に学びに来られる方もおられます。
 そのような人は、一度ならず二度三度と、足を運ばれます。そうなると、大勢の観光客の一人ではなく、顔を知っている人、さらに名前を聞いた人、顔見知りへと関係が深まってきます。この関係を育んでいけば、醍醐の教えを広めることにも繋がる、と感じられるようになりました。そして同時に、これは外国の方々だけに通じるものではなく、日本人に対しても、顔を知り、名を聞き、対面することが大切である、という、昔は当然であったことを、改めて認識する機会ともなりました。
 現代は、いろいろと便利になり、様々な方法で情報を流すことも、受け取ることもできます。しかし、インターネット上の匿名性を利用して、誹謗中傷が流され、傷つく人が出ているのも事実です。
 便利な世の中ですが、顔を見て対話をすることの重要性は、変わらないどころか、ますます大切にしなければならない、との思いを強く持ちました。特に我々僧侶は、そのことを心に刻まなければなりません。
 醍醐派教師皆様お一人お一人のお力で、開山・聖宝理源大師以来の「実修実証」の教えのもとに、社会に即した醍醐の祈りの世界を、より多くの人々に伝える方策が生まれることを願っております。

真言宗醍醐派管長
大僧正  仲田 順和

今月の管長様のおことば

2017年06月01日

醍醐寺は聖宝理源大師が貞観16年(874)に上醍醐山上で地主横尾明神の示現により、醍醐水の霊泉を得、小堂宇を建立して、准胝、如意輪の両観音像を安置したのに始まる。そののち醍醐・朱雀・村上三帝のご信仰がよせられ、延喜7年(907)には醍醐天皇の御願による薬師堂が建立され、五大堂も落成するに至って上醍醐の伽藍が完成した。それに引き続くように下醍醐の地に伽藍の建立が計画され、延長4年(926)に釈迦堂が建立。ついで天暦5年(951)に五重塔が落成し、下伽藍の完成をみた。