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身掛山

かんのんいん

観音院

宗務所:三河西部宗務所   代表者:鈴木信教
〒470-0332  愛知県豊田市越戸町松葉41 

観音院の信仰/歴史

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身掛山・観音院は、世界に知られる「クルマの街」豊田市の市街地から数キロメートル、矢作川の中流域、花見の名所「勘八峡」に通じる国道一五三号線沿いにあります。
 寛喜年間(一二三〇年頃)、聖宝・理源大師が開基された霊場「猿投山(さなげやま)」山麓の丘陵に大日如来を安置する大日寺という一伽藍が建立されました。その際、聖観世音菩薩をお祀りする観音堂が草庵されたといいます。その後、江戸時代の寛文五年(一六六五年)、三州・挙母(ころも)の里に疫病が流行った折に、悪疫平癒を祈願するため、現在の地にくだんの観音像が将来されました。以来、遠近の盛んな信仰を集めましたが、これが当山の起こりであると伝えられています。
 当山の本尊は、このような縁起のある聖観世音菩薩の木彫立像であり、昭和五十四年に開眼された聖観世音菩薩の石製立像とともに、「越戸(こしど)の観音様」と親しまれて来ました。毎年二月には初観音大法要が営まれています。また、平成三年には厄除け修行大師像が開眼、同十二年には境内に大師堂が建立されました。例年五月には弘法大師の縁日がありますが、当山は「弘法さん」を慕う参詣客を集めて来ました。そのほか境内には、地元運送業者の同業組合「大正組」によって奉納された石製の馬頭観音や、矢作川の水運荷役の安全と繁盛を見守ってきた金比羅大権現、そして修験道の開祖である役行者・神変大菩薩など、古くから地元の信仰にゆかりある諸神仏が安置されています。
 なお、当山は、昭和初期に開業した名鉄三河線沿線の弘法大師八十八ヵ所の霊場のひとつでした[越戸駅より徒歩五分に立地]。現在は、昭和四十年に再興された「三河新四国八十八ヵ所」の霊場になり、春秋のシーズンには個人の巡礼者はもちろん、観光バスでの参拝団でもにぎわっています[観音院は第十三番の札所、馬頭殿は第十四番の札所です]。