恵印
法要
 修験道。私たちは、「山伏(やまぶし)」とも呼んでいる。古代から連綿と続く山岳信仰を中心に、平安時代の初期、大和(奈良県)の葛城山(かつらぎさん)を中心に修行した「役小角(えんのおづぬ)」(神変<じんぺん>大菩薩・六三四?七〇一)の個人的信仰や修行・行動を有力な基盤として、時代の流れの中で社会的な思想や信仰形態を背景に自然発生的に組み立てられて来た"祈りの世界"それが修験道である。
 「野に伏し、山に伏し、我、神仏とともに在り」と修行する役小角の世界を、醍醐寺開山の聖宝(しょうぼう)・理源大師(八三二?九〇九)は、「霊異相承(れいいそうじょう)」という、大きな祈りをもって密教の修行・修法を中心に修行形態を整えた。役行者が入峰(にゅうぶ)して以来、峰入の跡が絶えていた大峯山(おおみねさん)を再興し、大峯山を「一乗菩提正当(いちじょうぼだいしょうとう)の山」ととらえ、一乗真実の山で、二乗・三乗の方便の山でないと理解し、修験道の真実を「実修実証」の四文字で解き明している。そして、聖宝・理源大師の血脈(けちみゃく)を伝承する修験道は大峯山を「一乗菩提正当の山」ととらえることから当山派、または当山方といい、醍醐寺三宝院門跡が伝統血脈を継承し、その中核をなすものは「恵印法流」すなわち「最勝恵印三昧耶法(さいしょうえいんさんまやほう)」である。寛平七年(八九五)聖宝・理源大師が金峯山(大峯山)中で金剛蔵王菩薩に化身した役小角に導かれ龍樹(りゅうじゅ)菩薩から伝授されたのに始まるとされる。
 恵印法流の基本的性格や伝承を伝えるものに、聖宝・理源大師の弟子の観賢(かんげん 八五三?九二五)と貞崇(ていすう 八六六?九四四)が昌泰三年に著したとされる『霊異相承恵印儀軌』がある。これによると「修験最勝恵印三昧耶」の意とするところは、「最勝恵印」の「最勝」は大日如来の異名、「恵」は戒定恵の「恵」、「印」は手に結ぶ印契(いんげい)で決定(けつじょう)不変を表し、三昧耶は平等を意味する。したがって、当山派修験道は、大日如来の示した最高深秘の法流を示している。この恵印法流は、現在、加行(けぎょう)法である「七壇法」、「潅頂(かんじょう)法」、「柴灯(さいとう)護摩法」、さらには一仏・一尊を礼する「一尊法(いっそんぼう)」の修法が行われている。これらの修行・祈りの中心、集大成に「恵印法要」がある。
 この「恵印法要」は、「修験最勝恵印三昧耶普通次第一巻」(聖宝作)を基本とする「修験最勝恵印三昧耶聲明(しょうみょう)集一巻」(成覚作)を中心に修せられる法要である。法要は、大祇師(だぎし)を中心に、中祇師、小祇師、度衆から組織され、それぞれに果たす役割がある。大祇師は、真言宗で修する「理趣三昧(りしゅざんまい)」を基調とする修法で、中祇師は「表白(ひょうびゃく)」を奏上し、常に大祇師と境界(きょうがい)を共にし、小祇師は、大祇師の杖を持し、法要を総括する。度衆は、大祇師の修法にあわせ、それぞれの役を果たしつつ法要を進めていく。
恵印法要
 ここで大切なことは、恵印法要を修する道場、特に堂内を常に「大峯山」と観じ、観念して修法する定(おきて)があることである。したがって法要次第も、先ず行列をなし、「入峰修行」の心を整えることに始まる。
 先頭の吹螺師(すいらし)が「案内の螺(かい)」を立て、道場より準備の整えを知らす「返答の螺」が立てられる。(今回は、この役を特に女性吹螺師が務める。) これを聞き「宿入の螺」を立て、行列は発足する。先頭の法螺は、三界(さんがい)を驚覚(きょうがく)し、衆生の眠りをさまし、一切の魔障をはらうものである。次いで振る錫杖(しゃくじょう)は、六輪の錫杖で「菩薩錫」といい、菩薩修行の六波羅蜜(ろくはらみつ)を表し、握る柄に六道を観ずる時、「六波羅蜜能(よ)く六道を済度する」という観念で錫杖を振る。後に続く度衆は、金剛薩■(「土」+「垂」 こんごうさった)の真言を微音で唱え、一切衆生ことごとく六道輪廻の眠りをさまし、仏の世界へ導き入れる意を持って、上求菩提(じょうぐぼだい)の道場(大峯山)へと進列する。
 道場前に到ると、大祇師を中心に対向(群立<くんりゅう>)し「露地の偈(げ)」を唱える。この偈文は、布薩(ふさつ)・授戒会(じゅかいえ)などの時に用いる偈文と同じで、譜もまったく同じに唱え、一切の煩悩をことごとく取り払った境界を表すものである。
 入堂すれば、鐘五十四が撞かれ、「法螺の讃」、続いて七声の法螺「説法の螺」が立てられる。これにより道場内に遍満する総ての聖衆を驚覚し、道場外の障礙(しょうげ)を辟除(びゃくじょ)する。そして、度衆は、五体投地の三礼をなす。先ず一礼で本尊、次いで六根の罪障を滅除するために一礼、次いで諸仏諸尊に一礼し、着座する。
 次に「前讃」、中祇師による「表白」の奏上で法要の趣旨が述べられ、「理智不二礼讃」「九条錫杖経」と続く、特に「理智不二礼讃」は、正式には「理智不二界会礼讃」といわれ「修験恵印総曼陀羅(そうまんだら)」の構成の基となる経典で、「理智」の「理」は胎蔵界の平等性、「智」は金剛界の分別智を表し、金・胎両部は不二であることを説く。そして、この両界によって大日如来の徳が完全に示され、理智不二は、本来清浄の境地であり、両界に現存する無量の諸仏諸尊の徳を礼讃することを主旨としている。全体は、発願・法施・回向・三礼の四部より構成されていて、経典の奥書によると聖宝・理源大師が吉野の鳥栖鳳閣寺(とりすみほうかくじ)で「恵印潅頂」を開壇した時(昌泰三年・九〇〇年)の御作で、その時、中祇師、小祇師を務めた高弟の観賢、貞崇によって譜を附したことが記されている。また、「九条錫杖経」は、恵印の独特の音譜を附して錫杖を振りながら唱える。その内容は、九つの段から構成される。先ず、前半で三宝を供養し、清浄心をおこし、三諦の理を学び、六波羅蜜の修行を修めることにより悟りの情緒を会得することを説く。後半では、錫杖の音を聞くことによって、一切の衆生が悪をやめ、善を修することにより菩提の境地に到り、さらに十方の悪魔をはじめ生きとし生ける者すべてが菩提に達し得るという錫杖の功徳を説き、最後に三世の諸仏、及び三宝に供養し感謝することを示す。
 
恵印法要
錫杖経に続き、「後讃」が誦せられる。讃の後は通例の如く鉢を撞く。恵印法要においては前讃では中段鉢十八を撞き、後讃では下段鉢三十四を撞く。また、峰中においては鉢を用いず前・後讃とも法螺三声(さんせい)を乙音で立てることを常としている。
 次いで、太鼓のひびきの中「般若心経」を勇壮に読誦し、諸真言を唱え終わって回向に入る。回向では、一心に恵印三昧耶を奉ずる功徳をもって一切の生きとし生ける者と共に一乗の峰に登り、理智不二の真実の身体を得ることを願い、祈り「恵印法要」を成満する。
 最後に撞き響く鐘五十四音は、聖宝・理源大師が「霊異相承」と示された目に見えない大きな語らい、心の世界を私たちに伝える響きである。

(仲田順和)





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